開祖・久高政祺幸利拳聖十段は、琉球今帰仁城、城主譜代大名・渡口政敦の後裔久高政尊(久高島地頭を授かる)の二代目の長男として、1907年4月22日に沖縄の首里に生まれる。
琉球拳法の中興の祖、拳聖安里親雲上人の末弟子、拳聖・喜屋武朝春(徳)師範の直弟子。幼少より武芸を嗜み、久高家代々に秘伝である、久高島、獅子流棒術と武芸を祖父や、伯父から学んだ。琉球古武術の代表的師範、金城サンダ師範が、武器による古武術を指導のため、久高家の道場に招かれた。12歳にして174cm、壮年期には、身長181p、体重100kgを超え、左足蹴りを特技とし、当時すでに敵なしと謳われた。
1930年、兵営生活を終え、開祖は琉球武術を代表して、拳聖喜屋武朝徳師範、桑江良成師範とともに、台北の国際武道祭に招かれ、初めて公式に唐手の特別演武を行った。その後、台湾及び、中国、日本各地を演武、指導、1932年再び、満州国に招かれ、満州国の建国を祝う武道祭において、唐手道の演武を行った。そのおりの開祖は、日本国歌「君が代」にあわせて、沖縄唐手の形「久高(クダカ)の公相君(クーサンークー)」と「獅子流の棒術」を披露、演武した。満州国皇帝の臨席のもとに行われ、中国の武術家達の多くが殺された義和団事件以後、中国で初めて公式の沖縄唐手の演武が行われた。開祖は、この大地の随所で、武術のあらゆる実践を試み、修練と指導に豊富な経験を積んだ。
終戦で帰国後、国土は、破壊され、人々の風紀は乱れていた。開祖は、人々にその本来の精神をとりもどさせるために、武道が優れた手段であると考え、いちはやく、青少年の健全な育成を目指して、唐手、および、柔術の教育、指導にあたった。
開祖は、その生涯を空手道の発展と進歩のために捧げて1988年8月13日に天寿を全うし他界した。残した大きな遺産として、弟子達が世界各国で、少林寺流拳行館空手道を実践しており、今もその真髄は脈々と引き継がれ、生き続けている。
|